• 職員室から

天神川校 奥居副校長インタビュー②

奥居先生が思われる日本語教師の魅力はどういったものでしょうか?

 

「日本語教師として日本語学校に勤務する」ということから言えば、とにかく毎日変化があって、同じ日が一度もありません。事務的な仕事はさほど変わりませんが、それ以外の部分では毎日、常に何かが起こります。そういう観点でいくと「飽きる」という事がまずない仕事だと思います。

そして日本にいながら国際交流ができる事。私は外国で教えた経験はないんですが、毎年京都民際に入学してくる30か国近くの学生たちと共に過ごすことで、いろんな国の人たちの文化や習慣を知ったりすることができます。本や動画からではなく、学生たちとコミュニケーションを通じてそういった事ができるのも、ひとつの大きな魅力ではないでしょうか。

 

この世界に入る前は、そういった事は想像されていましたでしょうか?

 

なかったですね(笑)。

何となくは想像していましたが、こういった形で国際交流を行うという所までは想像できませんでした。入る前は「日本語を教える」という部分ばかりにフォーカスしていました。

例えば、先ほども言ったように、京都民際には毎年30か国近くの学生が入学してくれますが、これだけの国の学生たちがいると、この国の人たちは苗字がないとか、逆にこの国の人たちは苗字がほとんど同じだとか、名前が長すぎて、それぞれにニックネームがあって、それでやり取りするから、本名を聞いて誰だったっけ?とか、本当に日々いろんな発見があって勉強になる事ばかりですね。

 

 

それでは、これまでの日本語教師の経験の中で、何か印象に残っていることはありますか?

 

もう色々ありすぎて(笑)。
いいことも悪いことも、楽しかったことも、嫌だと思った事も本当にいろいろありました。何か一つをあげるというのは難しいですね…(笑)。

今ぱっと思い出せるのは、自分の発言について考えさせられたエピソードですね。私も若い時は気が強くて、「自分が正しい」「自分が日本のルールを守らせないといけない!」といった妙な正義感に溢れていて、ルールを守らない学生には結構きつく当たったこともありました。

ある日、そういう学生がいたので少しきつく怒ったら、その学生が、私の次の授業で、「奥居先生に叱られた」「私はもうこの後、授業を受けられません」といって廊下に座り込み、クラスに入らないと引継ぎの先生から連絡があって…。

それで、とりあえず教室に入るように話をして、その場は収まったんです。ところが、その後ですね。その学生は、私の帰宅途中にある焼肉屋さんでアルバイトをしていたのですが、帰宅の際にその学生が、また同じようにアルバイト先のお店の前で立っていたんです。

私がその前を通りかかったら、焼肉屋さんの店長さんがこちらに来て、「先生、彼は本当にいい学生なんで、許してやってください!」って頭を下げてこられたんです。話を聞くと「今日は先生に怒られた」と言って落ち込んでいたそうで、仕事にならないと。お店でもずっと、ぼーっとしていたそうで、店長さんもどうしていいかわからなかったみたいでした。

その時に自分の持っている影響力と言いますか、発言の重さを痛感しましたし、なにより学生が焼肉屋さんの店長さんと物凄くいい関係を築けていたんでしょうね、その時は教室の外の世界も含めて、すごく生活感を感じられた瞬間でした。

学校内でも、例えばいきなり校内の廊下で男性の学生と女性の学生が取っ組み合いのけんかを始めて…。女性も全然負けてなくて、他の先生があいだに入って何とか止めて、引き離して落ち着かせて…。ところが翌日にはお互い何もともなかったかのように普通に過ごしている…といったこともありましたね、今思い出しました(笑)。

とにかくその頃は、毎日「生きる強さ」と言うのでしょうか、そういった事を強く感じられた日々でした。

 

 

 

現役の日本語教師の方々やボランティアで日本語教育に携わる方々に、

何かアドバイスはありますか?

 

最初は教えることで一杯一杯だと思いますが、やっぱり「自分が教えたい」じゃなくて、学習者が何を求めているのか?というのを常に見ていることが大事だということですかね。よく最初から「こういうことを教えたい」「こういうものが役に立つと思う」と言われる方がおられますが、それを思っているのは自分であって、本当に相手が今それを望んでいるのか?という所。

最初は教え方とか、教案の書き方とか、教案通りにしないといけないとか、文法分析とかいろいろと大変で、例文一つ作るにしても、その文は本当に学習者が使うのかどうか?という部分が、やっぱり置いてけぼりになるんですね。

それはボランティアで教える時も同じだと思います。日本語学校に来ている人は、進学したいとか就職したいとか、進路がはっきり決まっています。そして、ボランティア教室に行く人たちというのは、配偶者として来て、日本で生活をしないといけないとか、日本人の友達が欲しいとか、もちろん、日本語力をもっと上げたいとか様々です。一人一人が何を求めているかをしっかり見てあげて、それに必要なものを提供することが大事なので、そこの意識は常に持っておいた方がいいかなと思いますね。

あとは「楽しむ」という事でしょうか。学習者側に立てば、やはり「こわい先生」には教えて欲しくないので、知識や経験があっても常に時間を気にしている、ずっと教案ばかり見ている、という先生よりも、いつも笑顔でこちらを見てくれる先生の方が、学習者も教えて欲しいと思いますし、印象にも残ると思います。

もちろん技術は身につけないといけませんし、楽しむのも独りよがりになってはいけません。ただコミュニケーション力というか、人間力というか、魅力ある人になるための経験、となると日本語だけではなくて、いろんな分野へ考えを広げていくとか、そういう事も結果大事だなと最近思いますね。結局は人と人との繋がりの部分なので。

 

では、これから日本語教師になりたい方、ボランティア日本語教師になりたい方々に向けて
メッセージをお願いいたします。

 

そうですね、前回も言いましたけど、言葉というのはその国の文化や考え方をそのまま表しているものだと思うので、日本語を教えるという事は学習者に日本を教えるというか、紹介する、知ってもらう事。そしてその言葉を使ってコミュニケーションをとるという事は、その間にある壁みたいなものを取り払って同じ景色が見られるようになる、という事だと思うんです。

そういう意味では、まずは「日本」という国を見直して、自分で「日本」の素晴らしさを発見してみる事が大事かなと思います。あとは教える時も自分自身を好きになって、日々の出来事を楽しむという気持ちを持つこと。もちろん先ほども言ったように独りよがりになってはいけないですし、相手を置き去りにしてはいけない。

でも、この仕事は決して楽な仕事だとはいえないと思いますので、自分自身に余裕がないとだめだと思いますし、余裕が生まれると相手に対する見方も変わってくると思います。

そういう観点から、楽しむという気持ちを持っていれば日本語教師を長く続けられるかなという気がしますね。

2022年2月22日
聞き手:京都民際日本語学校 企画開発部部長 住田伸夫